常世の舟を漕ぎて 熟成版

1953年、水俣湾周辺で、魚が海に浮かび、海鳥やネコの変死が続いた。化学品製造会社チッソが起こした公害の原点、水俣病によるものだった。同年、水俣北部の漁師町に、緒方正人は生まれた。

6歳の時、父が突然水俣病で死去、一族もみな発症した。漁師を継ぎながら、父の仇を討つかのように、チッソや行政に対する補償運動、責任追及闘争に没入していく正人。しかし、ある体験をきっかけに、それまでの補償を求める闘いから身を引く。

以来、自らも文明社会における加害者であることを認め、それまでとはまったく違う行動を起こすのだった――。この正人の行動に共鳴した辻信一は、そこに至った道を明らかにするため、正人の生い立ちを、想いを辿る。

近代とは、文明とは、人間とは、いのちとは……。ユーモアに溢れながらも切なく響く正人の問いかけは、あなたの内にどのようにこだまするだろうか。作家、石牟礼道子の序文「神話の海へ」も収録。

(本書は、『常世の舟を漕ぎて 水俣病私史』(世織書房)1996、『週刊金曜日』316号・特集「水俣病事件からの光」2000、『Rowing the Eternal Sea: The Story of a Minamata Fisherman』(Rowman & Littlefield)2001、の原稿を再編集、そして、2018年、2020年の聞き書きを増補、熟成版として刊行した)

水俣病の問題をやっていると、病気の問題だっていうこともあるし、それ以上にね、いのちの問題でしょ。…中略…魚も鳥も猫も、他の多くの生きものたちも巻き込んでるわけですよ。

話をもっと根源へと辿らないと、人間存在の罪深さが見えない。それは水俣病にとどまる問題じゃない。…中略…存在自体のあり方に関わる罪深さが、しまいに母体である地球を傷つけた。母体にまで毒を飲ませてしまったんです。それがこの文明社会の罪深さです。
緒方正人 本書より

この二十数年とは、世界の危機がぼくの想像をはるかに超えるペースで深まりゆく月日だったが、それは同時に、緒方正人の思想が着々と深まり熟成していく日々でもあった。こうして今でも、その彼の身体からほとばしり続ける言葉を書き留め、それを一人でも多くの人に送り届けるという仕事に「加勢(かせ)」できることはぼくにとってこの上ない歓びだ。…中略…
彼の存在は今も灯台のように、暗い世界に一条の光を投げかけている。
辻信一 本書増補熟成版への「あとがき」より

本書は、水俣病問題を扱った本ではない。水俣病を体験したひとりの人間の想いと行動から、人間の生き方を問う書である。漁師でありながら、いや、漁師であるがゆえに、“いのちの思想”を全身で養い、表現し続けた緒方正人。
「おら、人間ぞ!」
その言葉の意味を探り、あなたの暮らしの中で熟成させてもらいたい。

緒方正人(おがた・まさと)
不知火海漁師。1953年、熊本県芦北町女島生まれ。6歳の時、父・福松を水俣病で亡くす。自身も水俣病を発症しながら、家業の漁師を継ぐ。1974年、水俣病の認定申請を行い、水俣病認定申請患者協議会(申請協)に入会。認定訴訟闘争のリーダー的存在であった川本輝夫と、認定申請・補償訴訟運動を展開する。1981年、申請協の会長に就任するも、認定と補償を求める運動のあり方に疑問をもち、1985年、申請協の会長を辞任。三か月間、自ら“狂い”と呼ぶ時期を過ごした後、認定申請を取り下げた。1987年、木造の舟「常世の舟」を完成。水俣まで舟を漕ぎ、チッソ水俣工場正門前で、たった独りの坐り込みを行なった。以来、水俣病の被害者としてではなく、文明社会におけるいのちの加害者を自認しながら、水俣病事件に対するお金ではない償いのあり方、加害者と被害者を超えた関係性のあり方などを問い、表現し続けてきた。現在も、不知火海で漁師を営みながら、いのちの思想を人々に伝えている。著書に『チッソは私であった』(葦書房、2001)がある。

緒方正人(語り)、辻信一(聞き書き・構成)
サイズ:四六判(188mm×127mm)
ページ数:384ページ
出版社:株式会社素敬 SOKEIパブリッシング
販売価格 2,300円(税込2,530円)

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